三浦友理枝5日目 ― 2011/09/12 09:17

音楽の話ばかりしてきましたが、今日はちょっと話題を変えて、、
関東が梅雨の時期に、北海道に旅行に行きました。
仕事でなく飛行機に乗るのって、なんだか変な気分でした(笑)
やはり札幌には仕事で行くことが多いので、あえて札幌はスルーし、
なかなか行けないような場所にも沢山行きました。
同じ日本とは思えないような、とにかく度肝を抜かれる壮大な景色の
オンパレードで、ちょっと人生観が変わった気もします。
ただ、ヨーロッパに気候も景色も似ているところもあり、懐かしい気もしました。
ひたすらまっすぐ続く一本道、右は広大な牧草地、左は雄大な山、
という景色の中を走っているとき、ちょうどラジオからブラームスの
交響曲第1番の終楽章が流れてきて、びっくりするほど景色とマッチして感動しました...
今日の写真はまさにその場所ではないんですが、こんな長ーい
一本道が沢山あって面白かったです。遠近感を肌で感じられます(笑)
三浦友理枝(ピアノ)
ミニトマト ― 2011/09/12 09:52

さて、ここ何年かの夏の楽しみがベランダ菜園です。
採りたての野菜をすぐ調理して食卓へ、を願って始めました。
とは言っても、今まで山あり谷あり。
なかなか「大収穫!」とはいかない事を学びました。
無農薬で育てています。
すると、害虫と病気と無縁で・・・というのは至難の技で、
更に、都会でしかもベランダで育てているにもかかわらず
「小動物」という天敵がいる事も学びました。
(昨年は小動物が夜な夜なやって来て植物を丁寧に掘り返されて
しまい全滅の憂き目をみました・・・。)
昨年、全滅しましたので今年は規模を縮小。
ミニトマトに挑戦致しました。
春頃室内でポットに種まきして発芽を待ち、
本葉が3,4枚出て来た頃に外のプランターに本植えです。
規模縮小で、たったの4本しか植えなかったのですが・・・
これが驚く事に今年は豊作!
「鈴なり」とはこういう事を言うのね!という豊作。
無農薬なので今まで無傷でここまで来た訳ではありませんが、
その少々の傷にもめげず、植物自体が元気に頑張ってくれています。
まだまだミニトマトは花を咲かせてくれていますので、
もうしばらく楽しめそうです!
仲道祐子(ピアノ)
鮫島有美子5日目 ― 2011/09/12 10:16
「座右の銘」という言葉がありますが、私には「座右の書」があります。
ダンスとピラーテス(日本ではピラティス)という“スポーツ系”(?? ハハハ・・・)
の趣味など、昔の私には思いもよりませんでしたが、もともと好きだったのが読書。
趣味というにはあまりにも乱読ですが、そんな中でもこの本はいつも持ち歩き、
何度も読み返しています。
米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」。
米原さんについてはご存知の方もいらっしゃるでしょう。日本でロシア語の
通訳といえばこの人をおいてなかったそうです。
(妹さんは故井上ひさしさんの奥様。)
2006年に56歳という若さで亡くなられた米原さんがどのような人だったかは、
彼女のさまざまな本を読んでいただくとして、これはものすごい読書家
としても有名だった彼女が、亡くなる寸前まで書き続けていた「書評」を
集めた本です。
ですので、米原さんが書かれたというだけでなく、自分がどんな本を
読もうかと思ったときに、その指針とできるものなので大変便利でもあります。
その読書量と分野は半端なものではありません。
認知症のお母様をお世話し、犬猫その他の動物と一緒の生活の中で
通訳としての仕事に駆け回り、しかも一日に7冊の本を読みこなす!
それも”ただなんとなく読む”のではなく、見事な書評をかけるくらいに読みこなす。
”タダモノ”ではないこの米原さんにして、自分が癌になったときの
やりきれなさや不安感に押し潰されそうになっている感じが哀しいです。
読書家で、そしてあまりにも知性あるがゆえに、何人もの医者の提言を
受け入れられず、本を読み漁って自分で“ベストの治療法”を探し出そう
とするその姿が、“こちら側”にいる私たち読者の胸に迫ります。
声なくして「なぜ、なぜ、なぜ?」と問うてしまいます。
もし2003年の再発時に、お医者様の(それも3人以上!)言葉を受け入れて
手術に踏み切っていたら、彼女はまだ存在して、いまだにすばらしい書評や
本を書き続けていたかもしれません。
私がどうしてもお会いしてみたい人のお一人でした。
鮫島有美子(ソプラノ)
ダンスとピラーテス(日本ではピラティス)という“スポーツ系”(?? ハハハ・・・)
の趣味など、昔の私には思いもよりませんでしたが、もともと好きだったのが読書。
趣味というにはあまりにも乱読ですが、そんな中でもこの本はいつも持ち歩き、
何度も読み返しています。
米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」。
米原さんについてはご存知の方もいらっしゃるでしょう。日本でロシア語の
通訳といえばこの人をおいてなかったそうです。
(妹さんは故井上ひさしさんの奥様。)
2006年に56歳という若さで亡くなられた米原さんがどのような人だったかは、
彼女のさまざまな本を読んでいただくとして、これはものすごい読書家
としても有名だった彼女が、亡くなる寸前まで書き続けていた「書評」を
集めた本です。
ですので、米原さんが書かれたというだけでなく、自分がどんな本を
読もうかと思ったときに、その指針とできるものなので大変便利でもあります。
その読書量と分野は半端なものではありません。
認知症のお母様をお世話し、犬猫その他の動物と一緒の生活の中で
通訳としての仕事に駆け回り、しかも一日に7冊の本を読みこなす!
それも”ただなんとなく読む”のではなく、見事な書評をかけるくらいに読みこなす。
”タダモノ”ではないこの米原さんにして、自分が癌になったときの
やりきれなさや不安感に押し潰されそうになっている感じが哀しいです。
読書家で、そしてあまりにも知性あるがゆえに、何人もの医者の提言を
受け入れられず、本を読み漁って自分で“ベストの治療法”を探し出そう
とするその姿が、“こちら側”にいる私たち読者の胸に迫ります。
声なくして「なぜ、なぜ、なぜ?」と問うてしまいます。
もし2003年の再発時に、お医者様の(それも3人以上!)言葉を受け入れて
手術に踏み切っていたら、彼女はまだ存在して、いまだにすばらしい書評や
本を書き続けていたかもしれません。
私がどうしてもお会いしてみたい人のお一人でした。
鮫島有美子(ソプラノ)
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